江戸時代の「東京名所図会」に次のような記載があります。
「三光稲荷神社は、二十三番地にある小社なり。
嘉永の切絵圖に三光稲荷と見えたるが、古鹿子に、はせ川町、三十郎稲荷とあるを當社なりといへり。
さればいつの頃よりか三光と改めしか、詳らかならざるも、・・」
昔は、「三十郎稲荷」と呼んでいたのですね。
さて、「三十郎」とは? 「東京名所図会」にその続きががあります。
「堺町に歌舞伎ありし頃、關三十郎といへる俳優ありて、
其の屋敷内に勧請ありたる稲荷なればとて、三十郎稲荷と呼びしと・・」
歌舞伎の俳優さんの名前に由来するものなのですね。
お賽銭箱は、江戸火消しの「は組」の寄付でしょうか?
「は組」は、この近辺、大伝馬町、亀井町、難波町、堺町、小網町、小舟町等、四十六町半を受け持つ組なのだそうです。
この神社は、「稲荷神社」ですが狐はいません。
狛犬と招き猫がたくさんいます。
招き猫については、さきほどの「東京名所図会」に続きがあります。
「其の頃のことかとよ、娘子供藝妓等が、三十郎の容色を愛でつ、参詣するもの夥しかりしより、
誰いふとなく、三十郎稲荷には猫が寄るとの風説より訛傳して、
猫兒を見失ひし時、立願すれば験ありとなむ、又鼠除の守札を出すと。」かわいがっている猫がいなくなったら、三十郎稲荷にお祈りにいけば良い、ということですね。
家の招き猫が不要ななったら、ここに持ってきて供養してもらいましょうか。