薬研掘不動院のすぐ裏にあります。中央区東日本橋2-6-8。
赤い耳の狐
境内の案内↓
正保2年(1645)、当地に隣接する東日本橋1丁目あたりが谷野と呼ばれていた頃、幕府が米蔵を建て谷野蔵・矢之倉と称されていました。
その庭中に御蔵の鎮神として三社を合祀した三社稲荷神社をまつりました。
三社は中央に「谷野蔵稲荷」、左に「福富稲荷」、右に「新左衛門稲荷」からなりたっていました。
元禄11年(1698)に御蔵を鉄砲洲に移転すると共に、三社稲荷も一緒に移されましたが、御蔵跡地の住民がそれを惜しんで三社稲荷を残し、今尚東日本橋1丁目に「矢の倉三社稲荷」として祀っています。
明治6年に「新左衛門稲荷」が、昭和7年には「福富稲荷」が当町初音森神社に遷座合祀されたといわれ、残る「谷野蔵稲荷」は幾多の変遷の後現在地に鎮座するに至りました。
名称の表記がいつよりか「矢の庫稲荷」と改められました。
御神体は現存しませんが翁の形で手に鎌と稲穂を持つと伝えられています。