Webより、参考情報を転載。(あとで、整理します)
永代通りに架かる千代田橋はその上を高速道路が通っているにもかかわらず、欄干、橋柱などが当時のまま残されている
- 兜橋 - 東詰が兜町であることによる。明治頃の地図よりあらわれる。
- 海運橋 - 江戸初期は髙橋、後に海賊橋・将監橋と称された。東詰に海賊奉行向井将監忠勝屋敷が存在したことによる。明治元年(1868年)「開運」と掛けて海運橋と改称された。
- 新場橋 - 江戸時代は中之橋とも呼ばれている。延宝2年(1674年)西詰に日本橋魚河岸に続く第二の魚河岸として新肴場(新肴場河岸)が設置され、新場と略された。
- 久安橋 - 江戸初期は鷹鳥橋。後に東詰の桑名藩松平越中守上屋敷に因み越中(殿)橋と呼ばれた。明治元年(1868年)久安橋と改称されたが、単に美称をつけたとする説と、古く御坊主久安の屋敷があったことに因むとする説がある。
- 下野(殿)橋 - 江戸時代にあったとされる橋。久安橋と同一とする説もある。
- 松幡橋 - 東詰の松屋町、西詰の因幡町から各一字とった。江戸時代には松屋橋とも呼ばれた。
- 弾正橋 - 江戸初期、東詰に島田弾正忠利正屋敷があった。弾正橋の旧橋にあたる元弾正橋は江東区内に移設されている。